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最終更新日:2005.7.6

大学院入試案内 在学生メッセージ


可能性の再確認

社会福祉学専攻博士前期課程2年 野田 健

支えられてる実感

心理学専攻修士課程2年(臨床心理学領域) 高井清武

学びへのあゆみ

社会福祉学専攻博士前期課程2年 佐藤まゆみ

理論的研究と実証的研究の同時可能性

社会学専攻博士前期課程 1年 佐藤麻衣

「やりたいこと」と「やれること」

社会学専攻博士前期課程 2年 庄司 壮

「科学」すること、「研究」すること

社会福祉学専攻博士後期課程 2年 朝比奈朋子

「実学」の魅力を堪能しよう

社会学専攻博士後期課程1年 本多敏明

大学院生活2ヶ月目

心理学専攻修士課程(臨床心理学領域) 1年 熊谷佳苗

迷いの森の中で

社会福祉学専攻博士後期課程 3年 関谷真澄



可能性の再確認

社会福祉学専攻博士前期課程2年 野田 健

  2000年3月、私は大学を卒業し、高齢者通所施設に就職して介護現場に身を置きました。当時の私は勉強嫌いのため、お世辞にも賢いとは言えない人間でしたが、働く中で、利用者の皆様と一緒によりよく生きることを追求するこの仕事に魅力を感じるようになり、できる限りの力を業務に費やしました。毎日笑って過ごせるように励みました。毎日が充実していました。
 しかし、3年半の月日が流れ、私は次第に限界を感じ始めました。どうしても考えていることができない苦しみ、利用者や施設が抱える問題に飛び込めない苦しみ、何が最善なのかわからない苦しみ、様々な苦しみがたまり始めました。それらの苦しみに私は翻弄されどうすることもできなくなり、もがくだけでした。今思えば、その苦しみが私を大学院へと向かわせたのだと思います。
  現在、大学院に入って1年3ヶ月が立とうとしています。入学当初、私は苦しいことを訴えることしかできず、先が見えない状態でした。ですが、指導教授をはじめ、多くの先生方がそのような私を受け入れて下さったことで、今の私がいます。今は目の前に見えている世界が少しずつ広がり、鮮明に見えるようになりはじめ、自分の可能性が広がっているように思えます。大学院での学びは、直接苦しみを癒す薬のようなものではなかったのですが、私は大学院での学びを通じて、苦しみに立ち向かう勇気を得はじめ、苦しみとどう対峙するか考えるようになりました。今、私は大学院に来たことを本当に良かったと思っています。
  先にも述べましたが、私は勉強が嫌いでしたので、大学院での勉強も正直辛いです。ですが、その辛さの先に希望があり、可能性が広がっていますので、今はその辛さを乗り越えることの喜びを感じつつあります。そして、一緒に歩んでくれる友達や先輩がそばにいることで、くじけずにいられます。進むことができます。私はこの機会を最大限活かして、自分の可能性を広げ、もう一度社会へ飛び出していきたいと思います。



支えられてる実感

心理学専攻修士課程2年(臨床心理学領域) 高井清武

  私は他大学を卒業し,社会人として企業に勤めながら受験勉強を積み重ね,2年という月日がかかりながらもなんとか淑徳大学大学院に入学することができた。そんな私が淑徳大学について感じたことをいくつか振り返ってみたいと思う。
  まずは,学校の設備を支えるスタッフの人間味あふれる暖かさである。私は入学以前から受験勉強のために何度か淑徳大学を訪れた。その時の図書館のスタッフとのやりとり,そして受験をするにあたっての事務室のスタッフとのやりとりの中で,あの当時受験に苦しんでいた私は支えられていたように思う。あの時のさりげない言葉かけがなかったら今の私はいないだろう。入学後には数多くの先生方に支えられた。固まった思考から柔軟な思考へと導いてくれた先生,何気なく声をかけてくれて健康を気遣ってくれる先生,時には厳しく,時には優しく,そして何よりも私という存在とじっくり向き合ってくれた先生方に感謝したい。そんな先生方が支えていてくれたからこそ,今の私がいる。さらに,先輩や後輩そして同級生たちにも恵まれた。先輩方の経験による知恵,後輩たちのみずみずしい感性,そして切磋琢磨しあえる同級生たち。授業でのやりとりだけでなく,院生室での何気ない会話でも何度も支えられた。
  今振り返ってみると,私はこれまでの人生の中で実に多くの人に支えられてきた。私を今まで育ててくれた家族,そして多くの友達,その他数え切れないほどの多くの人たち・・・。そして今は淑徳大学のスタッフや実習先のスタッフ,多くの先生方や先輩や後輩や同級生たちに支えられている。そしてその支えがあってはじめて今の私がいるという実感がある。このことに気づくきっかけを与えてくれた淑徳大学にあらためて感謝したい。この1年間で学んだことを私なりに体得し,実践の場で活かすことができるようにこれからの学生生活も日々励みたい。そしてまたこれから生きていく中で,これまでの“恩”に報いることができるような人間になることを強く望みたい。そのために必要なものが淑徳大学にたくさんあると信じている。



学びへのあゆみ

社会福祉学専攻博士前期課程2年 佐藤まゆみ

 私が大学院に入学してから丸一年が過ぎた。振り返れば、学部時代の専門演習における学びで積み残した課題と直面し、社会福祉の中でもとりわけ子どもの福祉を真に実現する方策を研究したいとの思いから、大学院へ進学したのであった。
  現在、本格的に研究テーマを追求するにあたって、私が研究に向き合う動機、そして何のために何を研究するのか、最終的に何を目的とするのか、といった研究に対する自分自身の姿勢、さらには自分自身と向き合うことが常に求められている。
  大学院生活2年目になった現在も、大学院の授業を大切にしたうえで、自分の研究あるいは関心に直接関係する実習や研究会へ積極的に参加しており、昨年に比して研究活動が充実していることを深く実感している。
  このような研究活動に欠かせないのは、指導教授をはじめとする諸先生方、他の専門分野を研究している大学院の同期あるいは先輩、後輩とのコミュニケーションである。そのコミュニケーションからもたらされる様々な視点から考えるヒントを得られることは、研究活動を進めていくうえで、非常に大きな刺激となる。
  また、同じ専攻の院生だけでなく、他専攻の院生との間で交わされる議論は、社会福祉学専攻に身をおく自分自身の考え方や価値を問うことでもあるため、視野をいつでも広く持たなければならないことを実感できる。
  大学院では、様々な研究テーマ、経験をもった人とのつながりの中で、自分自身の知的好奇心を存分に満たすことができ、研究に対する確かな実感を得られる。学びへと誠実に、着実にあゆみを進めようとしている人たちにも、これまで述べてきた大学院での充実した研究活動を体験してほしいと願っている。



理論的研究と実証的研究の同時可能性

社会学専攻博士前期課程 1年 佐藤麻衣

 岩手大学を卒業し、淑徳大学大学院へと進学して早2ヶ月がたつ。  
 岩手大学では人間科学課程という学科に所属し、心理学と社会学の両方を学んでいた。大学入学当初は心理学にしか興味はなかったのだが、卒業時には完全に立場は逆転。すっかり社会学に魅了されてしまっていた。
  そこで、社会学についてのより深い知識を身につけ、理論・実証の両面において専門的な研究を行うため、社会学専攻への進学を決意した。進学先が、岩手からはほど遠いここ淑徳大学の大学院であったのは、数々の偶然が重なったためとしか言いようがないが、今はここに進学して本当によかったと思っている。なぜなら、淑徳大学の大学院ほど、理論的および実証的な研究が可能な大学院はほかにないのではないかと思われるからだ。
  私の指導教授によれば、理論的研究を進めるにあたり、最も重要なのは「国際的視野をもつこと」と「古典と最先端の、両方を学ぶこと」である。そのため、現在はドイツ語の文献を2、3冊平行して読んでいる。ドイツ語を全く学んだことのない私にとって、いきなりドイツ語を――しかも、簡単な絵本や小説ではなく「論文」を――読むことなど到底不可能なように思えたが、2ヶ月間毎日のようにドイツ語に接していると、部分的であれ、どうにかこうにか読めるようになってきた。
  また、指導教授は「理論だけでは現実がつかめない。実際にフィールドへ出て、人々の話を聞くことがもっとも大切だ」ともおっしゃっており、実証的研究にも非常に力を注がれている。私もすでにいくつかのインタビュー調査に参加させていただいた。インタビューで人々の人生行路をお聞きしていると、人の「現在」というものはさまざまな偶然の重なり合った結果なのだと実感させられる。理論を並べているだけでは決してわかりえない事実があり、理論的な説明など不可能な事実もある。
  以上のように、この2ヶ月の間にさまざまなことを学ばせていただいた。実際の生活は、毎日やらなければいけないことが多く非常に忙しいが、とても充実した日々を送っている。これからの2年間でどれだけ多くのことを学べるか、非常に楽しみである。



「やりたいこと」と「やれること」

社会学専攻博士前期課程 2年 庄司 壮

 淑徳大学で4年間お世話になり、素晴らしい先生との出会いから、大学院でもお世話になることになった。しかし、その決断に至るまでは、私なりに苦悩した。学費の問題、就職の問題のみならず、「やりたいこと」と「やれること」の不確かさが、その一歩を躊躇させた。結局私が進学を決めたのは、「やりたい」ということを幼稚に貫いたからだ。なにより「やれること」はやってみないとわからない。しかし、実際には「やれること」を知ることよりも「やれないこと」を知ることの方が多い。多くの「やれないこと」の中で何がやれるのか、どうすれば「やれないこと」をやれるようになるのか、日々の積み重ねの中でしか、その答えはでてこない。
  小さい頃から「コツコツやる」や「日々の努力」をあるべき姿勢として教えられてきた。それは、「大人受け」する、根拠のない美徳としてしか聞けなかった。しかし、上述のことを考えれば、それは根拠のないことではない。むしろ、この当たり前のことを当たり前にする難しさに日々苦悩している。幸いに本学大学院は「集団指導体制」のもと、多彩な先生方からご指導いただける。「やれないこと」の中で何がやれるのか、どうすれば「やれないこと」をやれるようになるのかわからないということは暗闇の海を漂流するようなものである。そんな時、先生方のご指導は灯台のように照らしてくださる。
  また、本学大学院では社会学の最先端で活躍されている他大学の先生を毎年6名お迎えして「現代社会学特殊講義」を開講しているが、専門領域や研究視野を広げることのみならず、理論と実践との接合を考えるうえでも大変有効である。実践的課題に取り組む先生方のお話は、最先端の「やり方」を知る大きなチャンスである。
  多彩な教授陣に加え、最先端の動向を伺い知るチャンスがある大学院はあまりないのではないだろうか。大学院への進学を考えているなら、あなたの期待を裏切らない環境が淑徳大学にはあるといえるだろう。



「科学」すること、「研究」すること

社会福祉学専攻博士後期課程 2年 朝比奈朋子

 7年前、わたしは、淑徳大学の博士前期課程に希望を持って入学した。今思えば、研究とは何かもわからなく、ただただ、現場を見据えた勉強がしたい、というつたない想いだけを強く持っていたように思う。その満足に言語化することもできない想いを受け止めて、学ぶ場を提供してくれたことだけでも先生方に感謝している。そして、前期課程での2年間で、わたしの想像をはるかに超えた学びを得ることができた。社会福祉学に求められていることは何か、社会福祉学を研究することとはどういう意味があるのかという問いを通じて、一人一人の生活を見据える現場での実践がどれだけ必要なことか、ということの確信を持つに至った。それは、指導教授を始めとして、幅広い専門性を持った先生方からの教えはもちろんのこと、同じ研究を志す仲間や先を行く先輩方との出会いからも大きな影響を受けた。淑徳大学のすばらしいところは、このように自分が望みさえすれば、専門的な研究はもちろんのこと、一方で研究に求められる多角的な視点を得られるチャンスが日常的に得られるということもあると思う。
  そして、5年間の現場での実践を経て、今またさらに研究を深めるために「研究の場」に戻ってきた。戻るにあたって、ある教授より「現場での経験を経たことで研究にどのように影響があると思いますか」と聞かれた。また、指導教授からは「科学を学びなさい」と研究に対するアドバイスを頂いた。これらの言葉から、決して研究のための研究ではなく、常に現場を見据え、経験を元にそれを単なる経験では終わらせず、科学的に見ていくことの重要性を伝えられたのだと思っている。このような指導教授を始めとする教授の先生方がいる環境だからこそ、実践を経てもまた研究を継続したくなるのである。いや、実践を経た今こそ、このような環境で研究がもっと深められるのだと思う。



「実学」の魅力を堪能しよう

社会学専攻博士後期課程1年 本多敏明

 淑徳大学の正門をくぐってすぐ左側に、とてもズッシリとした大木がある。その大木の樹齢がどれほどなのかは分からないものの、その佇まいからは、なにか「心が通う」とでも言うような安心感を覚える。
  博士前期課程での2年間の学びを振り返ってみると、相手との心の通いなしにコミュニケーションすることはできないということを身をもって教えられた。心が通うとはいっても、もちろん相手のことをすべて理解することなどできない。しかし、だからこそ相手のことをよく分からない自分に気づき、いっそう相手に関心を向け、相手の意向を気づきそれを配慮するように努力する必要はあろう。相手との隔たりはおそらく決して埋まらないけれども、その隔たりに自分から橋を架けようとすること、相手がその橋を渡って来てくれる保証などなくても自分から橋を架けようとすることが必要だということを、この2年間で学んだ気がする。「本を読んで一歩、人と話してまた一歩」という学問の王道を、とくに指導教授の佐藤勉先生と社会福祉学専攻の足立叡先生のお二人からの「現物教育」によって私は学んだ。お二人の先生は、「社会学」や「社会福祉学」を学びながらも「社会オンチ」、ひいては「人間オンチ」の私に対して決してあきらめることなく向かってきてくださった。たしかに大学院は、「先生―院生」との関係で成り立っているが、先生といい院生といいそれぞ・ 黷フ人間の一側面でしかなく、当の人間丸ごとを見ようと努力しなければ(たとえ見ることはできなくとも)、学問は始まらない。言うまでもなく、このことは「先生―院生」という大学内での関係に限ったことではなく、調査対象者と私との関係にもあてはまるだろう。地域福祉に励む主婦たちが、どのような家族に生まれ、どのような教育を受け、どのような人間関係をもち、どのような日常生活を送っているのかについての知見を深めなければ、調査対象者と人間同士として向き合うことはできず、彼女たちの地域福祉活動の実際に触れる「実学」的関心はとうてい満たされないだろう。
  同時にそうした「実学」という淑徳大学の理念は、それ相当の理論的観点を必要としているに違いない。限りなく現実に近づくために世界の最先端の理論を少しでも我がものにしたいと思う。



大学院生活2ヶ月目

心理学専攻修士課程(臨床心理学領域) 1年 熊谷佳苗

 淑徳大学大学院に入学してから約2ヶ月が経った。すごい勢いで走り抜けてきたようで、本当に2ヶ月しか経っていないのかと疑いたくなる。それくらいたくさんのことが凝縮された日々を過ごしてきたのだと思う。とても大変な日々であったが、毎日大きな充実感を感じながら過ごしてきた。
  私は淑徳大学心理学科の1期生として、4年前に入学した。そして、臨床心理士を目指したいという思いと、もっと心理学について深く学んでいきたいという思いから大学院に進学した。大学院には、学部時代とは全く異なる世界が待っていた。4年間何を学んできたのだろうと思ってしまうくらい、自分の無知さを痛感させられることもあった。しかし、それと同時に、新しく学ぶことの喜びも感じられる世界でもあった。このように感じられるのは、何よりも共に学ぶ仲間に出会えたからだろう。ここには、年齢も経歴もさまざまな人間が集まってきている。このような仲間と共に学ぶことで、自分と違った物の見方や考え方に触れ、私が今まで考えられなかった視点が発見でき、とても刺激を受けている。
  また、学部時代と比べて、先生方との距離がとても近くに感じられるようになった。講義は少人数で行われるため、初めはとても緊張していたが、先生方から学ぶものは少人数だからこそのとても中身の濃いものであった。そして、学部時代には知りえなかった、先生方の温かさを感じることができたと同時に、厳しさも知ることができた。どんなに些細な疑問でさえも丁寧に答えてくださるように、院生一人ひとりをちゃんと見てくださっている。しかし、受身的に学んでいくのではなく、自分でどう考えるか・どう動くかで、先生方から得られるもの・学べるものが大きく変わってくるのが大学院だと感じる。これからの2年間で、どこまで自分を成長させることができるかは、自分次第で大きく変わる。だからこそ、今自分自身ができる精一杯の、考えること・学ぶことをしていきたいと思う。



迷いの森の中で

社会福祉学専攻博士後期課程 3年 関谷真澄

 とにもかくにもこのところ一日があっという間に過ぎ去っていく。 今日一日何をしたのだろうと振り返っても、特に何がかわった訳でもない。 砂時計の砂が容赦なく落ちていくようである。このスピードで論文も進むといい のだが、全く逆で肝心のものは遅々として、悠々の流れの中にいる。 悠々であろうとも、流れ進んでいるのならまだ良いのだが、渦を巻いている だけかもと、ふと不安がもたげてきたりする。
 一昨年もこのページにメッセージを載せていただいた。 その時は「学ぶ」ということについて感ずることを書いた。 自分の中の「わかっている」という思い込みを取り払い、 アンテナを広げることが大事、というようなことも書いたと思う。 今それに加え、「学ぶ」とは自分の「無知」に出会い続ける ことだとつくづく思う。というか、突きつけられている。 自分の求めているものをつきつめるほどに、それで良いのか 果たして本当につきつめて考えているのかとか、どこに向かおうとして いるのかと、「迷いの森」の中にいる。 「迷っている間にとにかくやることをやりなさい」などという、 自分の声も響いてきとりして、「そうだなー」と思いつつ、 「迷いの森」を行ったりきたりしている状態である。 先日そんな話を、大好きな、とある先生にしたところ、 「それ(迷いの森の中にいること)がわかっていればいいんですよ」 と受けとめていただいた。気持ちが軽くなった。さらに続けておっしゃるには 、「その中でふと上を見上げたら北斗七星がみえるとね..」と。 北斗七星は方角をさし示す。私の中に在る北斗七星を見失わないように、 今できること、今・ キべきことを進めていけばいいと。 ぼやけた空が、少しクリアーになった日であった。 (実際のことろ「悠々の流れ」では困るのだが...)「学ぶ」ことは 「迷い」の繰り返しかもしれない。迷いながら進んでいくうちに、 北斗七星だけでなく、色々な星座がみえてくる。 それが「学ぶ」こと、「研究」の楽しさであるのだろう。




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