被災地のゲートキーパーへ
ゲートキーパーとは、地域で人のケアをする方、人に頼られ相談をされる方のことです。
公務員の皆さんへ。
手一杯の中で、ここまでやってこられたことが素晴らしいのです。できないこともあったかもしれませんが、市民は公務の遂行に感謝しています。
私たち国民は皆さんの活動を誇りに思っています。
様々な宗教関係の方々が地域のコミュニティの中で自助を超えた共助をされていると思います。民生児童委員さんや学校の先生や保母さんや保育士さんに社会福祉協議会の職員さんも同じだと思います。
皆様の慈愛深い活動に敬意を表したいと思います。
ここでは、被災地で、支援にあたっていらっしゃる方、自らも被災されながら活動されていらっしゃる方へ伝えたいことをまとめました。
- 活動されている方へ
- 被災しながらの仕事、支援活動をしている方へ
- 援助者が心がけるセルフマネンジメント(チェックリストつき)
- 2週間を前に、セルフケアを
- 援助者のストレス対策 セルフマネンジメント
- 援助者のストレス対策 組織のストレスマネジメント
- 被災支援者に起こること 共感疲労・共感性ストレス
- デブリーフィングは、行わないほうが良いのでしょうか?
- ハイリスク児童への関わり方は?
- 子どものSOSサイン
- 高齢者の変化をみるポイントは?
- 宗教関係・ゲートキーパーの方へ
- 若い宗教者の方へ 悼むことの原点を考えよう
- 悲嘆に向き合う人に関わる上で
〔子どもに関わる方へ〕
〔高齢者に関わる方へ〕
〔共に居ようとする方へ〕
- 活動されている方へ
-
もし活動されている方に届くならばお伝えしたことがあります。
全てが出来る公務員などあり得ません。
手一杯の中で、ここまでやってこられたことが素晴らしいのです。
出来ていることを認め合って下さい。
できないこともあったかもしれませんが、市民は公務の遂行に感謝しています。
私たち国民は皆さんの活動を誇りに思っています。
「でも」と思われる方へ、自分では認めにくいでしょうが、仕方無いこともあります。
周りはあなたの活動に沢山支えられたと感謝しています。
よろしければ、周りの方と話をしてみて下さい。
きっと気がつかれると思います。
→ もっと詳しく 活動されている方に0402
- 被災しながらの仕事、支援活動への従事
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家族の視点から、気をつけた方が良いことが幾つかあります。
食事が摂れていますか?お通じもあり、疲労が残っていませんか?睡眠は取れていますか?
自分も被災しながらの支援という側面がある仕事ですから、常より緊張が高いのです。
また、皆大変だからと、自分の疲労を押さえる心理も働きます。
共助のマインドはとても大切ですが、セルフケアが不足する危険があります。
それは体調の悪化になることもありますので、高血圧や糖尿やアルコールの問題やタバコの問題のある方は注意してください。
話が進まずうつっぽい時は要注意です。平均的に躁的になって乗り切る時期でのうつですから。
仕事のことを独りで判断し続けてないか確かめて下さい。
相談出来る上司や、誰かペアがいれば安全ですが、独り仕事でしたら、それは限界のサインです。
それらが怪しい時、一ヶ月以後、気持の気圧変化でバーンアウトする危険が生まれます。
被災3週間頃から蓄積した問題として見え出すと、私は思います。
家族への無視感や怒りのようなものとして表れた時は、家族は、論理的に話を広げず、柔らかく受けとめるような声(ボーカル)で受けとめてあげると良いです。
120%の働き方なので、オーバーワークにならないように気をつけてあげる人が継続して必要です。「気にかけていること」が伝わることは大切です。
健康な心は、英雄期や災害ハネムーンから、通常業務へと移っていくための修正をしばしばします。
ただ、独りの時間、ぼんやりと振り返る感覚です。あるいは、時々繋がりを感じたい要求がでます。
特にこれから非難という形や生活再建という形にしても、自分が直接関わり、互いに満たし合ってきた仕事相手や仲間が、少しずつ抜け始まるときに。そんな時に、家族の絆が変わらずあることを感じるケアの言葉が届くといいと思います。
→もっと詳しく 被災しながらの仕事、支援活動への従事(支援者ケア)0320
- 援助者が心がけるセルフマネジメント(チェックリスト)
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発災後10日になると、ストレス耐性の差が出て来ます。一部で串が抜けるように戦線離脱が生じ出します。風邪や腸炎であったり、持病の悪化であったり、しかし、中にはバーンアウト-燃えつき-が出だします。
援助者のこころとからだが抱えるストレスとケアについて
特別な事態での英雄的な献身ですから、援助者は最大限の活躍を日頃と異なる高揚感の中で長期に行えます。しかし、二次的な被災者でもあることを自覚する必要があります。
- 睡眠休息食事など基本的な生活リズム障害に晒され、過敏で誤判断が生じやすい状況に次第に陥ります。
- 特殊で新しい人間関係の中で関係を構築していくので、対人ストレスの自覚がなくも、高い緊張が持続します。使命感と感謝がそれを可能にしています。しかし、活動が拡大する中で、対立など上手く行かないことや、いわれのない非難体験を受けることすら生じます。
- 異常な事態の中で、多くの痛ましい死や、病気に対して打つ手のない恐怖に暴露され続けます。
そういった状態で、他者からの評価が期待通りにでない誤解場面や、ミッションが達成出来ない体験が契機となり、バーンアウトが突然起こります。あるいは、この緊張にコミットしすぎてしまう中で平時とのずれが拡大し、平時に戻る際に失望し、撤収できなくなったり、離任時に自分が通常の社会では不適格になったようにさえ感じるような認知の変化が生じます。
これらは、防げる可能性があることです。援助者となる人はストレス、特に緊張へのセルフケアの技術が必要です。派遣中は難しいですが、セルフマネジメントの意識が必要です。-
- 適切な生活習慣(睡眠と食事)の確保
- 味わいのある食べ方を仲間としてください。便秘は緊張のサインです。眠りは質です。入眠困難は緊張の持続のサイン、中途覚醒は抑うつ傾向のサインあるいはお酒のためです。
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- 適切なストレスコーピング(気分転換の会話、リラクゼーション)の選択
- 笑うことは不謹慎ではありません。技術です。もし、他の人の行動にいらつくようなら、バーンアウト寸前です。
-
- 不適切なコーピング(酒タバコなどの嗜癖、スリル系行動)の排除
- 喧嘩や事故はスリル系コーピングの典型です。過食や買い物依存は嗜癖系です。
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- コミュニケーションの管理
- 職場で適切な会話が出来ているでしょうか。家庭や仲間と楽しい会話が持てているでしょうか。対人関係の偏りで、疲労を見ることが出来ます。
頑固で口答えせず、言いなりになるのがノンアサーティブ行動で、自信なさか疲労による拒否能力低下のサインです。あるいは、反対に疲労からの感情制御困難がアグレッシブな行動です。人に説明出来、合意していけるのが、健康なアサーティブさです。
自分の人間関係の3層(大事な人・仕事仲間や親戚・挨拶する関係)で、この3つをセルフモニタリングする必要があります。
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- 自己効力感の確認
- 自己評価と他者評価が一致しているようなチーム内での活動。活動目標が自分の気持ちと一致していること。自分は何とか事態に対処できているという感覚(自己効力感)はありますか。これら、日頃無意識に調節している活動を自覚的にコントロールすることが必要です。
独り崩れると次に弱い人が崩れます。やがてそれは連鎖反応となります。ですから、リーダーは最もストレス耐性が低い部署に基準値をおいて、運営を心がけて下さい。ストレス耐性は本人の自覚にずれは少ないので、本音をアサーティブに聞いて下さい。
思い込み防止のためには、業務ペアを作る事です。
①その日の業務開始時のブリーフィング(何をするか)
②終了時のデブリーフィング(事実の確認、可能なら感じたことも)
をして、非難を避けながら独断にならない業務姿勢を確かめることが重要です。
③アメリカの警官やレスキューのようなバディシステムのような相互確認もありです。
ストレスチェックリスト
□周囲から冷遇されていると感じる
□向こう見ずな態度を取る
□自分が偉大なように思えてしまう
□休息や睡眠を取れない
□仲間やリーダーを信頼できない
□ケガや病気になりやすい
□物事に集中できない
□何をしても面白くない
□すぐ腹が立ち、人を責めたくなる
□不安がある
□状況判断や意思決定をよく誤る
□頭痛がする
□よく眠れない
□酒やタバコが増える
□じっとしていられない
□気分が落ち込む
□人と付き合いたくない
□問題があると分かりながら考えない
□いらいらする
□物忘れがひどい
□発疹がでる
2週間を前に、セルフケアを
ストレス許容量に個人差が出る時期になりました。2週間を超えたら、3週くらいまでに、一休みして、体制の立て直しが必要です。
帰る家を喪っている方もいらっしゃると思います。身体を動かしていることで考えないで済むと思う方もいらっしゃると思います。皆さんが中心になってここまで運んできたと思います。しかし、当たり前ですが、地元の救援者の皆さんは、今後の復興の担い手でもあるのです。ですからこそ、仕切り直しをして、一旦1月先、2月先をにらんで活動のギアを変える準備をして下さい。
皆緊張して問題が少ない時期が3-4週間位だとすると、その後、問題がまた増えます。その時期に備えて、ギアを入れ替えて下さい。誰か知り合いと温かいご飯を食べるとか、せめてシャワーを浴びる位のセルフケアをして下さい。それは罪でも怠慢でもありません。充電のために必要です。
救援者自身が二次被災者として機能しなくなっては、3ヶ月後からの自力復興を担うネットワークが残りません。不十分に見えたり、段取りが悪くても、2週間から3週間で協力者が見えだしたら、災害救援に駆けつけたチームを頼って使いこなして下さい。自分たちが交代休をとるために使って下さい。地元の支援者達を無視する外来支援チームはないと思いますので、イエス/ノーの意思表示を使って下さい。もし、害があれば、自治体の精神保健福祉センターや行政に入ってもらえます。
→ もっと詳しく 2週間を前に被災支援者は立て直しのセルフケアを0325
- 援助者のストレス対策 セルフマネンジメント
- 援助者の皆さんは時間に追われた特別な事態の中で、使命感を持って最大限の活躍をされておられます。しかもまだ、帰趨はつかず、予断が許せません。おそらく、支援は長期になるだろうという予測しかつかない段階だと思います。漠然とした不安があるでしょうが、やらねばという使命感で一杯のことと思います。 しかし、集中力を要す特別な活動が続くため、時間と共に、自覚出来る以上に疲労が蓄積していくことを自覚する必要があります。
疲労蓄積の原因とサインをあげてみます。
1.睡眠・休息・食事など基本的な生活リズムが乱れがちです。ミスや勘違いが生じやす
い時は疲労蓄積のサインです。
2. 特殊で新しい人間関係の中で、次々と関係を構築せざるを得ません。高い緊張が持続
しております。行き違いによる勘違い、どうしても上手く行かないことや立場の調整
が出来ない場面が出ます。その結果、誤解を受けてたり、いわれのない批難体験など
やるせない想いをすることがあります。
3.持続する異常な事態の中では、多くの痛ましい体験や、生じた事態に対して打つ手のない恐怖にさらされ、ご自分の気持ちの整理もないまま、地域の後始末を続けられていることと思います。
生活習慣リズムの乱れ・対人緊張・無力感や不安、これらの3つの要因が重なり続くことは、私たちにとって、もっとも厳しいストレス状況です。災害発生時の強度が高いストレス状態は乗り越えても、今まで次第にトレス蓄積が生じており飽和が近いように思います。
中等度までの、それほどではないストレスをデイリーハッスルズ(日常的混乱)と 言いますが、今の段階で、緊張低減としての休息や、業務の一時交代などが行われないと、ストレスのオーバーフローが生じてしまいます。中には視野狭窄と言ってよいのかもしれませんが、思い詰めてしまう場合があります。その前兆が、周囲の休養の勧めにもかかわらず、「自分しか出来ない」と不眠不休で働き続ける状態です。復旧は初期の緊急対応だけではありません。片付けが進み、事態の全体が見えてからが、本番です。今は仕切り直しをして、体勢を立て直すことが必要です。住民の皆様と同じように、被災した自宅や家族のことにも目を配り直して下さい。 自己犠牲になっていないか、家族に犠牲を強いてないか確かめてみて下さい。
バーンアウト・燃えつき
持続的な緊張状態で、他者からの評価が期待通りでない体験をした時、あるいはいわれのない誤解を受けた時、あるいは業務が達成出来ない体験など、本来それ自体は大したこともなく、日常的に起こることが契機となり、急激に消耗感が生じ、仕事忌避や対人嫌悪感が出現します。これがいわゆるバーンアウトです。あるいは、使命感の緊張にコミットしすぎてしまう中で、平時の仕事のバランスとのずれが拡大し、平時の業務や家庭生活に戻る際に違和感を覚えたり失望したりすることもあります。交代や撤収できずにその現場に残ったり、離任後に自分が通常の社会では不適格になったようにさえ感じるような認知の変化が生じます。でもこれらは、仕事と自分のバランスを整え直し、適度の緊張とセルフケアを持つことで防げる可能性があることです。ですから、援助者となる人はスト レス、特に緊張へのセルフケアの技術が必要です。任務中は難しく、自分自身のことに注意を回しにくい状況ですが、セルフマネジメントの意識が必要です。
○セルフマネジメントの要点(詳細は前項)
1.適切な生活習慣(睡眠と食事)の確保
2.適切なストレスコーピング(気分転換の会話、リラクゼーション)の選択
3.不適切なコーピング(酒タバコなどの嗜癖、危険なスリル系行動)の排除
4.コミュニケーションの管理
・ノンアサーティブ行動…自信のなさか疲労による拒否能力低下のサイン
・アグレッシブな行動…疲労からの感情制御困難
・健康なアサーティブ…人に説明出来、合意していける、
この3つをセルフモニタリングし、修正を図る必要。
5.自己効力感の確認…何とか事態に対処できているという感覚の有無日頃、私たちは、こういった無意識の調節を行いながら、活動を組み立てています。特別な事態での、特別な働き方では、こういった調節は困難です。ですから、自覚的にコントロールするという意識が必要です。
○リラクゼーションとアクチべーション
張り詰めたまま居ることに人間は耐えられません。血圧が上がったり、糖尿が悪化したり、早晩、身体から悲鳴があがります。でも、異常な事態の中でリラクゼーションを実行することは難しいです。ですから、笑い・運動などのアクチべーションの方が現実的な方法です。最低限、勤務時間外にそれらの気分転換が出来ない際は、上司や仲間と話し合い、自分の働き方にアドバイスを得て見直すことが必要です。既に、人間関係がぎくしゃくし始めたり、体調不良が身体病として明らかになるなら、一時的に業務を交代することもありです。
→もっと詳しく 援助者のストレス対策1 セルフマネジメント0327
- 援助者のストレス対策/組織のストレスマネジメント
- ○ストレス耐性という考え方
皆が皆120%の活動をする英雄期に、リーダーはそれを当たり前と思いがちですが、何処まで活動可能かというストレス耐性には個人差があります。仕事の組立はストレス耐性が低い人に合わせて下さい。独り崩れると次に弱い人が崩れます。やがてそれは連鎖反応となり、部署が潰れます。非常時 には、リーダーは最もストレス耐性が低い人に基準値をおいて、運営を心がけて下さい。ストレス耐性は本人の自覚にずれは少ないので、本音をアサーティブに 聞いて下さい。
○業務ペア
ノンアサーティブな人は不安や緊張をため込み、独りでバーンアウトしやすいです。ですから、思い込み防止のために、業務ペアを作り、アサーティブな人間関係に戻る工夫と練習を日常業務に持ち込む事が大切です。その工夫を取り上げます。
①その日の業務開始時のブリーフィング(何をするか)
②終了時のデブリーフィング(事実の確認、可能なら感じたことも)
をして、非難を避けながら独断にならない業務姿勢を確かめることが重要です。
③アメリカの警官やレスキューのようなバディシステムのような相互確認もありです。
特にストレスを抱え問題があるスタッフには、デブリーフィング参加者同士でも秘密保持を前提に、ストレス体験の原因を考え感情を共有して貰い、可能ならストレス体験について考えさせる丁寧なデブリーフィングが大切です。
セルフケアの次のレベルとして、職場が共同体と感じられるようなミーティングが定期的に入ると良いです。忙しいから皆がばらばらになる状況ですからこそ、無駄なようでも、互いの顔を見て挨拶を二言三言交わし、同じ事を考えることが、相互承認となり、職場と個人の感情メンテナンスになるのです。
○仕事の緊張の減圧を意識する
離任後は自分の被曝を意識して戻りましょう。家族や職場に戻る際には、感謝を伝え、自分が平時の時間や失われた時間を取り戻さないとやって行けないことを 自覚しましょう。神戸の震災では、被災地の英雄が何人もその後、不幸な家庭崩壊をしております。もちろん、その後、仲が深まった家族もあります。その差を 決めたのが、共に生きることを歓びとし、大切に思える仲間や家族を持つことです。足下の瓦礫よりも、広がった空の広さに改めて人間の矮小さと自然の大きさ を意識し、そこから未来へと夢の架け橋をかける気持ちを共に持てたか否かであったと思います。ですから、私たちはハードランディングでなく、ソフトラン ディングを考える必要があります。
○怒りや罪責感の処理
家族として受け容れる場合、不当な怒りや軽蔑感を感じることがあるともいいます。また、その時に罪責感を覚えて、全部引き受けてしまうようなことも起こります。それは援助者が被曝した二次的な被災の姿です。無意識の中でケアする者が、加害者にされてしまう体験が歪める影響です。まず、自分自身が怒りを感じていることに気がついて欲しいのです。訓練を受けている人と居ない人の差は、自分が怒っていることを自覚できることです。何かが自分を怒らせたにしても、怒ったのは自分です。自分の気持ちですから、何とかできます。そう考えられれば、対処できるようになります。
そのような場合、相手をする側は、怒りの感情に巻き込まれないでください。あくまで怒りは相手の感情です。「わたしに対して怒っているように感じられますが」というように指摘し、冷静にその怒りについて話し合うのがよいでしょう。何度か繰り返すうちに、自分の被曝に気がつき修正が効き出します。
→もっと詳しく 援助者のストレス対策2 組織のストレス対策0327
- 被災支援者に起こること 共感疲労・共感性ストレス
- 共感疲労・共感性ストレスという考え方があります。関わることのもたらす傷つきとでも言えば良いものです。そこには2つの側面があります。
①相手の辛い体験に触れることで、こちらのこころに二次的な外傷感情が生じたり、 その後の自分自身の行動が変化して、他者への自然な関わりが持ちにくくなること
②苦しんでいる人を援助しようとする際、救えないことから生じるストレス。 本質は自分自身への無力感への直面、自分の支援能力への困惑の生み出す孤立感。
この疲労感は、蓄積し、その人の世界観や仕事観に影響を及ぼすとされます。特に厄介なのが、バーンアウト(燃えつき)の出現です。
構図としては、共感が必要な仕事の増加・応答不能場面の増加(今回で言えば発災後の支援業務の困難さ)
⇒ 共感性疲労の蓄積
(混乱の中で、無力感が蓄積し孤立感へと発展する)
⇒ 仕事への機械的没頭
⇒ 孤立感が疎外感へ進展し、意欲喪失や諦めが蔓延
⇒ 共感を働かすことが出来なくなった自分への直面を回避するための感覚麻痺
⇒ 共感を働かすことが出来ない消耗感、そんな自分への自己嫌悪、仕事嫌悪の蓄積の進行
⇒ バーンアウト
⇒ 生き方の変化(孤独や厭世観、ひきこもり)
今、被災地の被災救援者が必要とされる支援も、同じように共感性疲労に配慮する支援ではないでしょうか。マニュアル的には、進展の各段階で繰り返し、出来ることが少ない「小さな自分」を仲間と赦し合うこと、それでも貢献できたこともあると確認すること。自分が抱える「不安」を意識に上げ、情けない自分を恥ずかしがらずに分かち合いをし、互いに支え合っているのを確認することなど、等身大の自分を受容することで、自分がふさわしくない、能力がないという思考を解消する必要があるとされます。
実際には、ファシリテーターと、シェアリングを共にする体験が必要と思います。 → もっと詳しく 被災支援者を支える人たちに意識して欲しいこと0402
- デブリーフィングは、行わないほうが良いのでしょうか?
- 「デブリーフィングはやってはいけない」という話を、そこかしこで耳にすることが出てきました。私は、総論賛成、各論反対、という感じがありますので、気になる点を取り上げたいと思います。
解離性障害の増加で再注目されたジャネのカタルシスを知っている人、あるいは精神分析の素養がある方は、デブリーフィングを、被災者に災害についての体験と感情を表出させるカタルシス療法と理解しやすいと思います。
また、実際、デブリーフィングにおいては、この視点も強調されます。
例えば『災害と心の救援』でオースティンは、大規模集団のデブリーフィングの目標をつぎの4つとします。
- コミュニティ全体が心的外傷から立ち直りつつあることを強調して、コミュニティの力と勇気との同一化による癒しを促進する。
- 相互に感情を表出する手段を提供し、各個人が経験しつつある感情を正常化することによって、被災者の孤立感や無力感を軽減する。
- ストレス緩和のため自分でできる簡単な方法を指導する。
- 感情面の諸反応が、専門家の助けが必要なほどに悪化する時期とその状態について、そしてできれば助けの求め先についての知識を与える。
しかし、カタルシスがカタルシスとして機能するためには、語る場の安心安全が確保が欠かせません。
また、語った後の揺れや揺れ戻しを受けとめる継続的な治療者が必要です。
その意味では、プライバシー保護すら怪しい中で、しかも継続性が見えない環境で、それがどのような体験に治められていくのかを方向付けられないようなデブリーフィングはやってはいけないでしょう。
まさに、それゆえに、『サイコロジカル・ファーストエイド』(PFA)が「基本目的」とするように、具体的にニーズに即しながら、人と人との関係を結びながら、安心を与え、見通しが持てるように支援するというあり方が重要視されます。
ここから各論の話をします。
オースティンがデブリーフィングの目的を再検討してみます。
①は、コミュニティの自己治癒能力の向上を図るための関係性再構築であり、安心の提供だけでなく、被災者集団のエンパワメントを目指すものです。
②は、カタルシスを目的としているのでなく、孤立感や無力感を軽減するための相互を結びつける意図なのです。
③は、セルマネジメントなど現実的な自己効力感を上げるための情報提供であり、やり方の指導です。
④は、見通しを与え、必要なニーズを明示する作業に他なりません。
このように、オースティンにとってのデブリーフィングは、PFAの「基本目的」に他なりません。
幻滅を減らすのは希望と連帯の持続ですし、それを支える支援もあるのです。
言い方を変えると、
やってはいけないのはデブリーフィングではなく、関係性のない中でのカタルシス療法だということです。それは受け手を弱い立場に置くだけでなく、より不安定にします。
やって良いデブリーフィングとは、被災者同士を結びつけ、安心や見通しを与えることで、エンパワメントするものということです。
私は基本は、地域社会の持っていた靱帯を思い出し、再構築することだと思います。それは専門知識よりも社会的常識だと思います。それは冠婚葬祭として、多くの人の経験に埋め込まれていると思います。葬儀は、共に死者を悼む作業でした。秋祭りは、共に晴れの日を祝う空間でした。隣組の人が「役割」を担い、男は祭具を造り、女は共に煮炊きをし、式を遂行しました。一部の避難所ではそれと同じ風景が見られます。つまり、被災者の自助や共助を信じ、それを支えるような支援が今回は求められていると思いました。
終わりなき日常に辟易した相互忌避が都市の無縁社会だったとすると、それは幻想だったのかもしれない、そんなことを感じます。
子どもに関わる方へ
- ハイリスク児童への関わり方は?
- 基本的には、個々の子どもが感じた不安に手をあて、どのように取り込んでいるのかを、反復修正するのが生活場面のケアでは大切です。
幼児年少児について
「大丈夫だよ」「怖かったね」とやさしいやり取りを、日頃をみるケアワーカーにして欲しいのです。まとわりついたり、多動になったり、夜泣きや失禁が出る場合、十分「異常な事態への正常な反応」です。もともと、被虐系の子どもは多動で頑固でまとわりつきや夜泣きがでやすいので、いつものことと思うかも知れませんが、それらが増えていることは、十分影響が出ているサインです。特別な出来事として、身体接触をともなうケアや、運動したり、読み聞かせや遊びでリラックスする時間をいつもより多めに持つことが大切です。
学童以降チャムシップの子どもたちの理解について
より心の発達が障碍され遅れている子では、魔術的思考で自責的になっている子は居ないでしょうか。抑制的な行動や身体化や退行が出てないか見て下さい。彼らが出来事をどのように位置づけ、体験に収めていくのかは、短期では点と線になりません。半年単位で追いかけて下さい。
大人の好奇心や他人事にするための、意地の悪い報道は幼児にとっては攻撃的侵襲以外の何物でもありません。でも、児童になると、そこに社会の真実の匂いを嗅いで、事実を知りたがり、それに好奇あるいは愉快という反応を示す子がでます。道徳的に叱ったり、無条件に禁じたりする対応をとり勝ちですが、それでは子どものメディアリテラシーは育ちません。彼らが、不安に対して反応しているのだと、根っこの揺れを理解して下さい。 もちろん、その場で制止しなければならない厳しい子どもも居ると思いますが。彼らの不幸である、不安な時に、適切な相手に適切な頼り方が出来ないという特性が透かして見えるはずです。そこに手をあて、シェアして下さい。そのことが扱えれば、高卒後の自立に役立つ記憶として、保存されます。
→もっと詳しく ハイリスク児童0314
- 子どものSOSサイン
- 観察上のポイントは2つあります。
1つは、母子ユニットの評価です。
エインズワースの3型とも関連しますが、神戸の避難所では混乱期の親子関係の特徴として、3つの目立つパタンがありました。
- 親子密着タイプ:不安から過剰に親子がしがみつき、分離不安が親子双方に強い。
- 放任タイプ :わが子が生きていさえすればそれでよしとして、養育行動のコントロールができない。
- 攻撃・過干渉タイプ:震災という危機場面で家族システムが揺らぎ、そのため母親自身が情緒不安定になっている。
もう1つは子どものSOSサインとなる行動の評価です。
神戸の震災時は、後で子どもの行動観察に次のような「子どもの心身症状についてのチェック項目」が使われました。
1. 食欲がない。 12. 小さな物音に驚く 2. 食べすぎる。 13. すぐ怒ったり興奮しやすい。 3. よく便秘あるいは下痢をする。 14. いらいらしやすい。 4. よくおねしょをする。 15. ものごとに集中しにくい。 5. ひとりでトイレに行けない。 16. 指しゃぶりや爪かみをする。 6. ひとりで寝れない。 17. 目をパチパチしたり、どもる。 7. よく夜泣きをする 18. ゼーゼーいうことがある。 8. 暗いところを恐がる。 19. 皮膚や目のかゆみを訴える。 9. いつも親と一緒にいたがる。 20. 自分にできることもやってもらいたがる。 10. 地震について繰りかえし話す。 21. がまんしすぎている 11. 地震の話をとてもいやがる。 22. そのほか気になることがある
自分の言葉で喋ることの出来る歳の子どもには、一時的なことであり、回復可能なので大丈夫と伝えることや繋がりを確認し続けることが大切かと思います。
自分がおかしいと思う子どもには「誰でもこんな状況では、そうなって当然」というメッセージが、心に落ちることが大切です。
→ 子どもをケアする仕事0320
高齢者に関わる方へ
- 高齢者の変化をみるポイントは?
- 高齢者には大抵の場合、経験の強さがあり、一次的な激変には対応する力があります。
しかし、1つでも疾患を抱えていると、災害弱者になり得ます。新しい環境の負担増は、基本的には心と身体を分けられない負担増として、緊張を高め、日頃のセルフケアの質を低下させていきます。
ポイントを挙げれば、不安によるものがベースに広がって緊張がまし、やがてそれらがうつとして現れ、それが認知症みたいに見えやすいということです。緊張がました変化を見るポイントとしては以下のものなどがあります。
- ぼんやりしている・反応がない
- 身体の不調を訴えるようになった
- 不安そうである
- イライラ感が強く、怒りっぽくなった
- 急に物忘れなどがひどくなった
- ささいな音や揺れに敏感に反応する
- 夜眠れない
- 食欲が明らかに減った
- 夜間うろうろと徘徊する
ケア専門職の方へ
私たちは周囲の出来事(環境からの要求)に、個人的な特性(経験・自信・所有する資源)と社会的な特性(家庭 内役割や仕事での役割など)を用いて対処します。環境からの要求が、個人が利用可能な2つの特性に基づく対処を圧倒すると、精神的な負担感となり、対処能力(客観的対処能力・状況的対処能力・個人的能力・活動力の4つに大分)が機能不全を起こすと考えます。そこで、行動能力 (目的を見い出すことと、それを達成出来る自信)を萎縮させないように支え、同時に環境的な要求を軽減させるようなサポートが持続して必要になると考えます。…対処手段保全説(conservation of resources)
それは医療ケアというよりは、介護的な関わりや心理的なケアとされる領域です。専門職の方が、直接的なケアにあたる人たちに、配慮する点を伝えてあげると良いと思います。アセスメントとしては、事態をどのように理解して対処していこうとしているのかを確かめることです。①出来事の統御性(どの位対処で きるか)、②事態や今後への予測性、③脅威性(どの位不安を与えるか)の自覚、という3つの認識の在り方を確かめていくと、行動能力を保障する自己への一貫性が見えてきます。
医師あるいは看護師の方へ
この相談は都内でのものです。しかし、スペクトラム的には避難所でも同じではないでしょうか。
CORの視点で説明されるのが、被災後の生活において認知症の周辺症状BPRSが増加する現象です。避難所の巡回の際、通常の診察室のような、認知症の程 度のアセスメントだけではだめです。身体的なリソース不足では、認知症症状は動揺するからです。認知症の初期の自覚的な不安を持続して軽減することが、長 い目で見ると認知症の進展を防ぐ効果を持つことをご経験のことと思いますが、この視点でこれらが説明されます。日常臨床の中の薬物療法以外のBPRS対策 の視点でチェックしてみて下さい。日中の固い様子や不安行動に目を配って下さい。
共に居ようとする方へ
- 宗教関係・ゲートキーパーの方に
- 今後、目先の安全確保が進めば進むほど、様々な想いが、返事を求めて信仰の有無にかかわらず殺到するのだろうと思います。私たちは不安になると、つい自分の信念で答えてしまうことがあります。こころが震えるような悲しい体験を告白されるとこちらのこころも震えます。その時、共に泣きながら、ただただ一緒に居るだけで良いのですが、それがしにくいのが宗教的儀礼の祭祀者です。その時、宗教的信念で応えるということが生じやすいです。平時であれば、多くの場合はそれがその人の言行一致した最も誠実な応答だと思うのですが、出来事を受け容れていく余裕がない人は、そのような信念を拒絶ととる場合があります。最悪、敵意を感じる場合すらあります。ですから、言葉で応えられなくも、共に悼む時間を持つこと、そのような提案を言葉でなく、来談者に伝えられることを敢えて取り上げました。
次に挙げるものは「サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版」(PFA)p19-20の引用です。
アメリカの災害救援で作られたマニュアルの一部を載せておきます。
実際には誰がどのような関係で行うかの方が重要です。深い関係であれば、やってはいけないことも十分やれますし、その方が、癒しが深まることもあります。逆にした方が良いことも、相手が納得する所までやりきれないと、かえって関係悪化になります。
やるべきこと
深い悲しみの底にいる人自身がこのようなことを言った場合には、その人の気持ちや考え方を尊重し、受け入れてください。しかし、こちらからこのような発言をしてはいけません。
- 深く悲しんでいる人に、いま体験していることは、このような場合には起こって当然の反応であることを伝えましょう。
- 亡くなった人を「故人」と呼ぶのではなく、名前で呼んでください。
- 悲しみ、孤独感、怒りが、おそらく一定期間は続くことを伝えてください。
- 悲嘆や抑うつ感が続くようなら、宗教関係者か悲嘆を専門とするカウンセラーに話すよう伝えてください。
- 医師、市町村あるいは国の精神保健部門、地域の病院などに相談できることを伝えてください。
言ってはいけないこと
- お気持ちはわかります。
- きっと、これが最善だったのです。
- 彼は楽になったんですよ。
- これが彼女の寿命だったのでしょう。
- 少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。
- 何か他のことについて話しましょう。
- がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。
- あなたには、これに対処する力があります。
- 彼が苦しまずに逝ったことを、喜ばなくては。
- 我々は生き延びたことによって、もっとたくましくなるでしょう。 (That which doesn't kill us makes us stronger. 哲学者ニーチェの言葉)
- そのうち楽になりますよ。
- できるだけのことはやったのです。
- 悲しまなくてはいけません。
- リラックスしなくてはいけません。
- あなたが生きていてよかった。
- 他には誰も死ななくてよかった。
- もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。
- この世に起こるすべてのことは、より高い次元の存在が計画した、最善の結果なのです。
- 耐えられないようなことは、起こらないものです。
- (子どもに対して) これから、あなたが一家を背負っていくんですよ。
- いつの日か、あなたは答えをみつけるでしょう。
私は、どうしても言葉がないと糸の切れた凧みたいな終わり方になってしまいそうな時は「~とお感じになるのですね」と、相手の言葉を受け取ったということを伝えることに勤めております。
→もっと詳しく 宗教関係の方・ゲートキーパーの方に 0322
- 若い宗教者の方へ 悼むことの原点を考えよう
- 宗教関係の方は、祥月命日を迎え、これから祈りと鎮魂の時間を沢山の被災者の方と過ごすと思います。
若い僧侶から「嘆き方が激しいので、どうしていいのか分からなかった」という声がありました。
誠実だなという想いと、幸せな方だという想いと交えて答えました。
きっとこれは多くの若い宗教者に共通なことかも知れない、そう思い書き留めます。
葬式仏教と侮蔑的に言われますが、葬儀という悲しみの儀式は何故あるのでしょうか?
受け容れにくい愛する人の死という出来事を、少しでも、真実としてこころに収めていくためです。
一人や一家族では余りに辛いことなので、近隣地人など皆で分かち合うことで受けとめ、儀式はあります。最後の看病や看取りが出来てもなお辛いことです。まして、突然の場合、それは容易に受け容れようがありません。
どんな形であっても棺の中の姿を目に焼き付けたい、それが人情です。人の気持ちは容易にまとまるものではありません。まとまらないことは、記憶の中でも怪しくなります。
だから、共に居た人と、49日忌、100日忌、新盆、新彼岸、1回忌と語り合い、確かめ合うことが大切になります。
繰り返し、その場にいる人としての宗教関係の方に、ぶれないために今回だされているガイドラインの1つをお伝えしたいと思います。
国立精神・神経研究センターの「死亡告知・遺体確認における遺族への心理的ケア」です。
立ち会い告知する公務員向けのものですが、自分自身、気持ちが動揺する位まだ「心の産毛」が残っている宗教者は一度は目を通して良いのではないでしょうか。
こちらの心が揺り動かされるほど、地域全体の悲しみが深いのが大規模災害です。
ですから、残された人々が、生き残りの罪責感を意識しながらなお、共に悼み続ける作業を支え続ける宗教者となるために、このようなものを読んで、宗教を祭祀する自分に反映させても良いのではないでしょうか。
仏事で言えば33回忌までの長い道のりを地域で共にするのが地元の宗教関係の方です。
被災者と悲しみを同じにする力が今求められていると思います。そして、それは通り一遍のものではなく、長く続く人生や自然への愛着を共にすることなのです。共に生きることで、地域の再生の礎石となって下さい。
過去の災害の度に、宗教がそうしてきた原点に戻って。
http://www.ncnp.go.jp/pdf/mental_info_izoku_care.pdf
→もっと詳しく 若い宗教者の方へ 悼むことの原点を考えよう 0412
- 被災者のグリーフ(悲嘆)に接する際に
- 目先の混乱が落ち着き始める時、私たちは悲嘆に出会います。
悲嘆を共にするようなケア(グリーフケア)をしたいと願う人たちと考えたいことです。
私たちは、ケアを受ける側が、他者が心にもなく慰めてくれているのではないかという猜疑感を持つことを意識しておかねばなりません。善意の提供者は常によい人というフィードバックを得るのではないのです。招かざる客ですから、猜疑と拒否にまず出会います。救済者の万能感の幻想がくじかれます。
そこに心を置き、踏みとどまり、共に居ることが許される時が関係の始まりです。
被災者とこころを同じようにと寄り添おうとする時、喪失体験の苦しみに寄り添えず、安易に言葉をかければ「心にもなく慰めてくれている」と理解され、再び距離が遠ざかります。あるいは、体験の重さに沈黙させられてしまえば、自分の接死体験の影響に巻き込まれるのを恐れているのではないかと理解され、迷惑をかけないように距離を取られます。
懐疑や困惑など、言葉のレベルでは説明出来ない想いが互いの出会いを困難にします。
その時、明確にするのと反対の方向で、しかも互いを合わせること、ここにグリーフワークの基本があります。
自分は独りになるつもりでもないし、避けてもいないのに、結果として独りになるのだから、人間は独りだと孤独を運命としていくのが、不適切な悲嘆反応です。そのような反応に、独りではないと応えかけることは技術を超えた領域です。
互いが出会ったときに、体験を聞くことが求められた場合には、逃げたり、誤魔化したりせずに、出来事のまま共に苦しむ(compassion)ことが出来るだけの魂の成熟が必要です。
悲しみを同じくすることは、知識や技術として説明されるようなスキルではありません。私たち自身のこれまでの体 験が試されるのです。そういう意味でのスピリチュアリティが求められます。
日頃の知人とのやり取りが如何に心のない声かけであるかを自覚していれば良いのですが。
あるいは、自分には不足があるだろうと気づいておくだけでも良いです。
最低限、そこまでたどり着いてから支援に向かって欲しいと思います。
→もっと詳しく スピリチュアルな領域で共苦できる準備を 0406
- 悲嘆に向き合う人に関わる上で
- 哀しみ悼む間もない時間が過ぎてきましたが、その中でも死に別れの悲嘆と生き残りの罪責感に、向き合う機会が増えていると感じます。悲嘆は人それぞれで、比べるようなあり方自体が許されないものですが、「突然」ということについて、共に考えられたらと思います。
突然の死とは、「なぜ」と事態の不条理を問う時間が無く始まり、「もし」という問いが常に否定へと繋がるからです。「もしかして」と少しでも不安を覚える時、私たちは事態へと備えようとします。この時、私たちは自分の不安を支えてくれる様々な個人的な資源をあてにします。私たちは自分が生きている世界の中で、自分が使える伝手をたぐることで、安心や慰めを見い出そうとします。宗教の慰めとして期待されるのは、そのような他者や環境へと頼ることを恥ずかしいと思う気持を察し、そっと背中を押し、勇気という形で励ましてくれることかもしれません。あるいは、高慢の鼻を折っても、頼る気持を気づかせることかもしれません。
「なぜ」「もし」と問う答のない体験を考えることを通じ、私たちは、自分が世界の中に抱えられていると感じ直せたとき、慰謝され、休らいます。感じられないと永劫回帰する悩みに陥ります。心理学で言う基本的信頼の信頼とは、具体的な母親への信頼を超えています。本質的には、答えの出ない「生きること」への無条件の信頼です。 世界保健機構WHOでは、ターミナルにおけるケアを通じて、信仰によらず、私たちの生きることの根幹に関わる問いの領域をスピリチュアルな領域と呼びます。このスピリチュアルな領域は、私たち日本人にとっては、日頃触れることが避けられている宗教的な説明の領域に重なります。
突然の不幸とは不条理です。説明出来ないから、「なぜ」は拡散せざるを得ません。これまでの自分の生き方と正義や公平性を考える時、そこには答が見いだせません。それだけで無く、そのようなものを信じていたことに根拠がないことに気がつかされます。世界への信頼としての基本的信頼が、音を立てて崩れ去ります。自分と社会や自分と環境との無条件の一体感が幻想であったことを突きつける暴力性が自然災害の基本にはあります。
しかし、個人として、自分はこのような不幸を受ける根拠はないと反発すると、自己決定、自己責任という厳しい懲罰を受け、私たちは罪ある人や驕り高ぶった人という烙印を受け、やがて沈黙を余儀なくされます。自分の基本的信頼が揺さぶられる恐怖感を感じるような不条理を体験していない(つもりの)人は、実存レベルでの不幸を知る人を畏怖し、避けます。同時に、自分の弱さを突きつけられたことに怒り嫌悪します。 福島からの転校生を虐めた子どもやその親にあったのはこのような不安に裏打ちされた怒りや嫌悪であったと思います。
このような反応に出会うとき、被災体験は人生の深みを知る奇蹟の側面が剥ぎ取られます。むしろ、負の有徴性(スティグマ)として、語ることや問うことを禁じられる体験になります。その結果、被災者は世界の中で自分の居場所を喪うという二度目の不条理を体験し、見捨てられる孤独にうち沈むのです。
ですからこそ、私たちは共感を超えて、共に苦るしみ悲しむ連帯が求められるのです。キリスト教でいう共苦、仏教でいう同悲、これらは私たちの生が根ざす不安に連帯し、支えることに行き着きます。それは言葉ではなく、気持を同じくして居ようとすることです。言葉を持つ以前の幼子の覚えるかなしみを、母があやしなだめるあり方です。
そのような意味で、私は短くてなお輝く言葉に出会いました。今回、ローマ法王が日本の小学生の質問に答えたとされるものです。
「私も同じように『なぜ』と自問しています。
今、私たちが悲嘆する人の傍らに居ることを願うなら、まず自分のかなしみを見つめて、気持ちを整えてからではいかがでしょうか。
答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあります。
この痛みは無意味ではありません。
私たちは苦しんでいる日本の子供たちとともにあります。
ともに祈りましょう」
→もっと詳しく 悲嘆に向き合う人に関わる上で0426