太極拳の歴史この文書は、太極拳という言葉は聞いたことがあるが、どのようなものなのか知らないという方々に、中国の歴史の中の太極拳を簡単に説明しようとしたものです。
太極拳は中国の伝統文化の一つです。歴史的な知識とともに、太極拳への理解が広まり深まることを希望しております。
なお小生はアマチュアの太極拳練習者の一人で、恥ずかしながら中国語も話せません。このような文書を出すには、はなはだ知識の足りない者でありますが、趣味というものはつい語りたいものでありまして、なにとぞ読者諸賢の御海容を願う次第であります。 1998年12月 横山 記
陳王庭。1600年生まれ〜1680年没。
陳王庭は太極拳の創始者です。明末清初の人であり、明の官僚(武挙を通った人)でした。しかし明は1644年に李自成の攻撃を受けて滅亡し、さらに李自成軍も清におわれてしまいました。
陳王庭は明の滅亡の少し前に(日本では江戸時代の初め、寛永年間)、出身地の河南省温県陳家溝に帰って(王庭は陳家溝の陳家第9世)、郷里の子弟に武術を教えはじめました。
陳王庭は、拳法と、導引法という道家の伝える健身法、そして経絡学説を中心とする医学を結びつけました。これが太極拳の始まりです。
ところで、明・清の時代には、軍隊の基礎的な構成部隊は、地方の郷村ごとに組織され、訓練されていました。そのため中国では、さまざまな郷村独自の武術が発達しました。例えば八極拳などもそうです。
陳王庭のアイディアによって改良された拳法(徒手武術)・槍法・剣法・刀法その他の武術体系は、陳家溝の人々によって400年間にわたって練習され、現代にまで伝わったのです。現在、陳家溝では、陳小旺、陳正雷、王西安、朱天才の「四傑」を筆頭とし、多くの住民が太極拳を練習しつづけています。
王宗岳。生没年不詳(1700年代後半から1800年代初めの人)。
山西省出身といわれ、陳家溝で太極拳を学びました。「太極拳経」の著者といわれます。
おそらくこの頃、陳家溝の武術を「太極拳」という名前で呼ぶことが始まったと考えられます。
陳長興。1771年生まれ〜1853年(日本の嘉永6年)没。
陳家第14世で、日本の時代でいえば幕末の人です。中国では1839〜1840年に阿片戦争がおきています。
非常に熱心な武術練習者であり、いつも姿勢が良いので「牌位大王(つまり位牌先生)」というあだながありました。大変高い技量を持ち、また楊露禅などの優れた弟子を養成しました。近代の太極拳はこの人に始まるといってもよい人物です。
楊福魁(字:禄禅、号:露禅)。 1799年(日本の寛政11年)生まれ〜1872年(日本の明治5年)没。
楊露禅の号で知られる楊式太極拳の開祖であり、太極拳普及の第一の功労者です。
楊露禅は河北省永年県城南関の農家の出身でした。若い頃に永年市で陳家溝の陳徳湖が経営する薬材店で働き、さらにはるばる河南省の陳家溝におもむき、陳徳湖の家で労働しながら、陳長興に師事して太極拳を学びました。楊露禅が陳家溝にいたのは10年足らずでしたが、熱心に練習し、大変高い技術水準に達して、(おそらく1830年代前半に)永年に帰郷し、家庭をもちました。
楊露禅は、永年市で太極拳の教授を始めましたが、当地にいた清朝貴族(高級官僚)の武家の人々に太極拳を教え、武家の信頼を得ました。その後、武家の当主が北京に転勤になると、楊露禅もよばれ、1852年に北京に出て、北京においても人々に太極拳を教えることになりました。
当時中国南部では太平天国の運動がおこっており、また列強の中国侵略も露骨になってきた時代でした。巷の人々の間に武術への関心が高まり、武術家同士の闘争もしばしばおきましたが、楊露禅は試合にも大変強く、高い評判を得ました。
楊露禅は、その子供たち、次男の楊班侯(1837年生まれ〜1892年没、班侯は字)、楊健侯(1839年生まれ〜1917年没、、健侯は字、名は鑑)などに太極拳を伝えました。
楊兆清(号:澄甫) 1883年生まれ〜1936年(日本の昭和11年)没。
楊澄甫の号で知られる太極拳普及の功労者で、楊健侯の第3子です。父や兄弟子の許禹生(1879年生〜1945年没)から太極拳を学びました。
楊澄甫は、おそらくは1900年の義和団事件と連合国の北京占領後にナショナリズムの自覚とともに、練習にも熱心になり、急速に技術を向上させました。そして武術であるとともに結核などに対する治療・健康法でもあるという現代的性格の太極拳を大衆に普及しました。
1911年、辛亥革命によって清朝が終わり、中華民国が誕生しました。1915年には日本の「対支21カ条要求」が出され、1921年には孫文の広東政府が成立し、同年中国共産党も生まれました。
楊澄甫は、1920年代半ば以降、武漢、南京、上海に行って広く教授しました。この楊澄甫の大架式が現代の楊式太極拳です。
楊澄甫は、1936年(魯迅の死去と同年)、日中全面戦争開始(1937年蘆溝橋事件)の前年に亡くなりました。(死因は急性腹膜炎であったといわれています。)
武禹襄(禹襄は字、名;河清)。 1812年生まれ〜1880年没。
武禹襄(清朝貴族)は武式太極拳(小架式)の創始者です。
楊露禅の後援者であった武家(清朝貴族)の兄弟(澄清・河清・汝清)の次男で、楊露禅の弟子となりました。
武禹襄は太極拳の研究に熱心で、太極拳文献の発掘・整理に努め、1852年頃には陳家溝に行き、趙堡鎮という分村の陳清萍から小架式を習い、統合して武式太極拳の架式を作りました。
その後、武式太極拳は、李経綸(字;亦、1832年生まれ〜1892年没、この人は武禹襄の甥)、さらに
和(字;為眞、1849年生〜1920年没、この人は武禹襄の娘の子)、などによって継承されました。
呉鑑泉。 1870年生まれ〜1942年没。
呉式太極拳(小架式)の創始者です。楊露禅および楊班侯の弟子であった全佑(1834年生〜1902年没、清朝貴族)の養子です。
1928年以降に南京、上海で太極拳を教授しました。呉式太極拳は中国の南部沿岸諸都市に多くの伝承者を持っています。
孫禄堂(字;禄堂、名;福全、号;涵斎)。 1861年生まれ〜1932年没。
孫禄堂は孫式太極拳(小架式)の創始者です。形意拳、八卦掌を学んだ後、1912年に為眞から武式太極拳を学び、形意拳、八卦掌、太極拳を総合して、新しい架式を作りました。仏教徒であり、また武勇伝の持ち主です。
陳発科(発科は字、名;福生) 1887年生まれ〜1957年没。
陳家溝では太極拳が継承されていました。例えば陳(1849年生まれ〜1929年没、字;品三)は最晩年に「陳氏太極拳図説」を著しました。
陳発科は1928年に北京に出て、陳式太極拳を初めて大都会の人々に教授しました。この門下生も現在に太極拳を伝えています。
簡化太極拳(24式太極拳)
1949年10月、中華人民共和国が成立しました。1956年に、簡化太極拳と88式太極拳が、中華人民共和国体育運動委員会、運動局武術科によって統一架式として制定されました。さらに1957年に32式太極剣が制定されました。
これらは李天驥老師(主に孫式、楊式、形意拳等を学んだ人、1996年没)が中心となって、太極拳を全く知らない人々のための保健・体育活動の教材として編成・制定されたものです。しかし簡化24式や88式は伝統的な太極拳家からは不評でした。おそらくは太極拳の精妙な部分が伝えにくいという理由からだと思われます。
1974年、中国少年少女武術団がオーストラリアなどで海外公演を行いました。私は当時NHKテレビのニュースで長拳を見て(おそらく胡堅強氏の表演か?)驚嘆しました。この2年後、私も太極拳の練習を始めました。
ブルース・リーの映画の影響もあり、中国武術が世界中に広く知られ始めました。しかし文化大革命の間、中国の伝統的武術の指導者は「封建思想」だというので、抑圧されていました。
日本に太極拳が伝わる
1972年の日中国交回復の後、1973年に、日本の故三浦英夫氏(旧;日本太極拳協会)が中国で、日本人として初めて簡化太極拳を正式に習い、続いて翌1974年には中野春美老師がおなじく簡化を中国で習いました。1975年秋以降日本人が次々に訪中して、太極拳や長拳類を習い、日本に伝えました。
1970年代には、佐藤金兵衛氏、武式太極拳の出井氏、『太極拳技法』を著された笠尾恭二氏などの、香港や台湾で太極拳を修得された方々も、日本で太極拳の紹介・普及活動を始められました。
松田隆智氏の中国武術紹介
松田隆智氏は、1971年に訪台し、台北で陳延煕の系統の陳式太極拳や蟷螂拳、八極拳などを学ばれ、帰国後、健筆を振るって中国武術を日本に紹介されました。
松田隆智氏が中国武術の紹介を行う前は、私どもには中国武術の詳しいことは分かりませんでした。
武術競技
文化大革命後、中華全国体育総工会、中国武術協会が再び武術普及に積極的になりました。1979年には48式太極拳が制定されました。さらに中国がアジア大会などで中国武術の表演競技を始めると、競技用套路(5分間で表演する)が次々と作られました。
大家の来日
1977年には、顧留馨老師が初来日され、(顧老師には不慣れな)簡化太極拳と、陳発科系統の陳式太極拳を日本人に見せてくださいました。1980年代になると太極拳の大家が次々に来日されました。
ことに印象的だったのは、1983年に初来日された陳家溝の王西安老師、陳正雷老師で、お二人は陳式の基礎となる歩法・手法を丁寧に教授され、私のような普通の日本人練習者にも、太極拳を実践的・論理的に理解する道が開かれました。
楊澄甫の女婿の傳鐘文老師は、上海で太極拳を指導しておられましたが、1988年に来日して、私たちに正統の楊式太極拳を教えてくださいました。その傳鐘文老師も1994年9月に亡くなられました。
現代の太極拳においては、リクリェーション体育および保健体育としての意義が主要であると考えます。
心臓や肺に過重な負担をかけずに、安全に全身運動が出来ること、独特の面白味を持つこと、自律神経失調症などに対して直接の治療効果を表すことなどが重要です。
しかし太極拳は大変高度な技術体系をもつ中国武術ですから、リクリェーションだからといってただ体を動かしていればよいというものではありません。太極拳はとても論理的な体系を持っていますから、理論をも学ぶ必要があります。
(付録) 楊式太極拳套路図 ただの套路図です。PDF形式です。けっこう手間がかかったわりには、きれいにできませんでした。