
このリストは、昭和32年までに河出書房より刊行された、野村胡堂 著『銭形平次捕物全集』全26巻に収められた作品の題名です。
なおこの他にも作品は書かれているかもしれません。 (下のリンクをクリックして下さい。)
銭型平次 河出書房版 作品リスト (全26巻)
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(第1〜7巻) |
(第8〜15巻) | (第16〜26巻) |
このリストは、最近(2004年以降)、嶋中書店より刊行された、野村胡堂 著 『銭形平次捕物控』(現在までに4巻刊行)に収められた作品の題名です。
この嶋中文庫版は、中央公論社版『銭形平次捕物百話』(1937〜38年刊行)を底本にしています。
銭形平次の名前ばかり有名で、作品を読めない状態が続いていたので、この文庫版刊行はありがたいです。もっとも、「尤も」(もっとも)という漢字が「犬」になっていたり、「案じる」(心配するという意味)が「安」になっていたりと、誤植が少々気になりますが。
銭型平次 嶋中文庫版 作品リスト (5巻----平成16年10月現在)
銭形平次が活躍するのは、寛永年間、三代将軍・家光公の頃ということになっています。
しかし作者の野村胡堂が自分で言っているように、江戸初期から幕末までのいろいろな風俗が作品の中に出ています。時代考証が厳密でないという批判があったようです。
でもこれは、白波五人男(歌舞伎 河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画----あおとぞうしはなのにしきえ)が、鎌倉時代の話で、五人の盗賊が鎌倉の稲瀬川堤に勢揃いするとか、「仮名手本忠臣蔵」が室町時代初期の話であったりするようなものでしょう。
野村胡堂(本名 野村長一)は、明治35年(1902年)早春、故郷の岩手県紫波郡紫波町を出て東京へ来ました。その後東京は三度大きく変わりました。関東大震災と第二次大戦の戦災と戦後の変貌です。野村胡堂はこの三度の変貌を見ました。
現在の東京には、関東大震災以前の、江戸時代を偲ばせる風景はありません。そういう意味では、読者にとって銭形平次が時代超越的であり、いつの時代でもいっこうにかまわないと言えるでしょう。
平次が住んでいたところは、神田明神下です。神田明神の東側はかなり高い崖になっていますが、その崖の下(男坂の下)だそうですから、神田明神より秋葉原方面に少し下った所でしょう。JR中央線の御茶ノ水駅のホームから、神田川・聖橋と湯島聖堂を越えて、北北東へ400メートルくらいのところだと思われます。
「ガラッ八」こと八五郎の住まいは向柳原(むこうやなぎわら)です。JR秋葉原からJR浅草橋の間の神田川の南側を柳原と言いましたが、神田川を挟んで北側を向柳原と言っていました。八五郎は、両国橋に近いところに住んでいたと思うので、おそらくJR浅草橋駅の近くに住んでいたのではないでしょうか。
だから平次の住まいと八五郎の家との間は直線距離でおおよそ1,400から1,500メートル、歩けば20分少々でしょう。
ところで、小生の父は、神田須田町で生まれ育ちました。父方の祖父は、大正時代に柳原土手下で古着の露天商をしていたことがあったそうです。
野村胡堂、本名 野村長一氏の伝記としては次の2冊があります。
太田愛人 『野村胡堂・あらえびすとその時代』 教文館 2003年
藤倉四郎 『銭形平次の心 ----野村胡堂 あらえびす伝』 文藝春秋 1995年
また、「野村胡堂・あらえびす記念館」が、胡堂の出身地である岩手県紫波郡紫波町彦部字暮坪にあり、このホームページは http://kodo.or.tv/ です。